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  • 2014.02.19 Wednesday
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遊星まっしらけのどこが良かったか教えてくれ

■昨年末に頒布されたピノキオPの4thアルバム『遊星まっしらけ』を聴いています。
遊星まっしらけ http://www.amazon.co.jp/dp/B00GEV5LW6/

 

【ボーマス27】遊星まっしらけ /ピノキオP【クロスフェード】
はじめましての人ははじめましてのピノキオPと申します。「いっぺんクリアする。」2年ぶりの自主制...


■感想を文に落とすと評論がちになって良くない(校正したくない)ので、てきとーに書きます。
■←箇条書きにしようと思って■を書いてますが、途中から(3行目くらいからかな?)意味をなさなくなってます。気にしないで。最後まで書いてから「なんなんだよこの■は」と気づきました。

■このてきとーな感想の、二つあるうちの要点の一つが「みんなのこのアルバムに関する感想を読ませてくれ」です。曲のネタバレを含むし、僕の感想に引きずられてから聴いてほしくないので、この記事はCDを聴きこんでから読んでほしいです。
■「聴いて」ではなく、「聴きこんで」です。なぜならピノキオPの曲の多くは、CDで聴くたびに新たに気づく発見があるからです。本当ですよ。ピノキオPの曲を歌詞カードと音だけを追うと、脳が追憶と想像のためだけに力を発揮できて、動画で見るよりもより曲そのものに近いところへ身を置くことができるんです。そしてその追憶と想像が歌詞になじむには回数が必要で、何度も何度も聴くことで、少しずつ言葉を掘り進むように歌詞の意味がわかるようになっていくんです。
■「意味がわかる」というのは横着な言い方です。まるで製作者の意図する唯一の解釈があり、それが正しい真理のようで、良くない。一度作られた作品は、あるがまま、あるだけです。そのうえで「わかる」という表現を使うために、この動詞の定義を、「自分の持つ知識や背景をフル動員して得られる最高の観賞法を会得する」と読み替えてもらいます。「個々人の主観による」を含意した動詞にしてしまえば使いやすいでしょう。
■一度聴くだけじゃ「このフレーズは自分のあのときの思い出にヒットするじゃないか!」という衝撃がスルーされたりしますから、簡単には「わかる!」というところまで辿りつけない。近代ピノキオPの曲は特にそうで、比喩をフンダンに用いて、誰も踏み込んでない状況を誰も使っていないフレーズで表現したり、あるいは予言したりと、なかなかに入り組んでいる。それでも聴きこみの果てには「わかる」を体感させてくれるだろう、というブランド感もある。だから何回も聴くのがいいんです。
■まだわからない曲もありますけどね。『m/es』や『からっぽのまにまに』はどういう歌なんでしょうね。あと何回か聞けば、ふと急に、わかった!というタイミングが訪れるかもしれない、とは思っています。
■"近代ピノキオP"という表現、直感でわかる人がいたら嬉しいですね。

■以下は本題なので、ネタバレも入ります。聴いてないとわからないように書いてます。
■しかも表面上そこそこ失礼なこと書いてますので‥今の気持ちはちょうどCD1曲目「ぼくも屑だから」のサビと同じです。
  怖え〜〜〜〜♪ 怖え〜〜〜〜よ〜〜〜♪
 つってね。聴いてないとわからないように書いてますからね。

■まだ聴きこんでない人は、また会いましょう。
 







■言い訳ですけど、ここからの僕の解釈は、「作品のあるがまま」を自分の脳の形に捻じ曲げて聴いた結果なので。僕はこう理解した、というだけなので。一応断っておかないと。


■CDを5,6周したあたりで、気づいたことがあります。表題曲『遊星まっしらけ』が、『かえるたちのうた』と同じテーマだ。曲順を確認すると、連続しているので、これはある程度は意図的なものだろうか(結果的なものだとしても)と睨んでいます。
■もう2周すると、テーマだけでなく、その構造、ずばり起承転結まで同じ歌じゃないか、と驚きました。

■以前ピノキオPとお話したとき、近代ピノキオPは似たようなテーマに迫っているように思うのですが、曲のイメージがかぶってきませんかねぇ、という話をぶつけた覚えがあります。失礼なことを言っていたようですが、本当に失礼だったのは「似たテーマの曲を聴いても似ていることに気づかない」ことがあるという自分を自覚できてなかったことですね。
■それにしても見事じゃないですか。同じものを指しながら、一方は蛙の歌、もう一方は進化。進化!?なんだその比喩は。見事ですよ、これは気づかない。イメージが全然似てない。似てないだけじゃなく、似てないからこそ比喩が指す同じ対象にその言葉の持つ別々のイメージが重なってくるのもおもしろい。
■しかし同じテーマの歌だととらえた瞬間ゾッとしました。『遊星まっしらけ』の、その歌詞に、「まためちゃくちゃ言ってねぇかこの人」と思ったんですけど、みんなそうは思わなかったんですかね?
■Twitterで流れる感想を読んでも漠然と良かったーとか、いい曲ーとかしか流れてこない。確かに曲はいい。メロディもいい、曲の流れ(A明るい→B切ない→明るい→サビ切ない)も内容とマッチしててかっこいい。僕も好き。でも歌詞の感想も聞かせてくれ!
■同じようなことは、2ndアルバム『poncotsu』収録の『箱庭からのメッセージ』でも思ってました。これで炎上しないならもう何言ってもいいだろ、なんて。
■むしろ、炎上しない=皆ちゃんとピノキオPの歌詞に斬られない、と考えるなら、むしろ炎上してないことが不自然、炎上こそきちんと歌詞が咀嚼されたあるべき評価だと思う‥。僕は酒の席でよく「ピノキオPに炎上してほしい」と言っていますが(めちゃくちゃ言ってるな)、まだ正しい評価がなされてない、という意味です。
■「いろんな見方があるな」と冷静になりたいから、このアルバムに関して具体的な感想を知りたい、というのもあるな。



■『かえるたちのうた』『遊星まっしらけ』どちらのテーマも、身近な世界の諸行無常だと思います。身近、と言い切らなくても、一般化の余地を残しているところが近代ピノキオPのニクイところですけど。でも今回の場合は両曲とも身近な歌としてとらえた方が好きなので。
■余談ですが、『マッシュルームマザー』のように、身近な歌と思いきや一般化の余地に気づいたために歌詞の質の高さに驚いた、というケースもあります。早く言えば、あれは今流行の対特アの歌のようなギミックはあるものの、その題材はただの一種で、実は古今東西すべての争いに通ずる歌だし、そうとらえ直すことで身近なネットの人々だけでないhuman beingsの仕方ない本質を表現できてしまっている、と気づいて驚いたということです。皮肉から根源の指摘への昇華です。
■話を元に戻すと、『かえるたちのうた』では、かえるが井戸を離れる理由は、想像しやすいです。井戸の整備があったのかもしれませんし、まわりに嫌いなタイプのかえるたちがあふれだしたのかもしれません。身近な環境にも重なります。一般化の余地のために、わりと多く重なります。なんにせよ、かわいそうです。蛙はほぼ被害者です。僕の背景はそう語っている。被害者だ。環境が加害者。それでもだからこそ誰も見ていない新しい井戸で歌い始める姿勢は、ただただひたむきであり、心が温かくなります。
■同じテーマとしてみた『遊星まっしらけ』では、二人の生き物は、なぜ星を離れたのでしょう。「終わってしまった」と歌われています。「壊れちゃった」と。なぜ終わって、壊れたのでしょう。どう読み取っても、壊した加害者は‥。
■この比喩に「ひでぇ!!」と思ったのは、歌と僕の心象背景が同時に流れこんできたCD5,6周目。1周目は「おー曲かっこええな、何の歌だろうな、ここで"二人"ってフレーズ意外だな、なんだろうな」だったんですけどね。聴くたびに、あーこれはこういうことか?、あーあー、えー、、ひでぇ!! と感情が変わっていきました。

■何も彼ら人間が直接的に星を壊した原因を作ったのではないはずです。壊したからひどい、と思ったんじゃない。ひどいのは、"この歌に登場する人間が、この歌を作った"こと。この星にいながらにして。
■この星は壊れてるんですかね。紆余曲折の進化の果てに、誰よりも一番進化した人間が、ピノキオPが、今どこにいるのか。歌の通り、既に空を見下ろしているんですかね。

■まあ、なにも、そこまで身近な歌だろう確信しているわけではないですからね。べつに本人の歌ではないとも思ってる。一般化の余地を残しているのがニクイんですよ。
■だって僕にも、なんとなくわかるんですよね。なんだろうなあ、こういうことは、と。僕の身近にもあったな、と思う。確かに身に覚えがある。一般化してくれてるおかげか、この進化のもがきと、その果ての帰結。どの環境に重なる、というわけじゃないです。具体的なあの界隈、ということはないんだけど、なにか抽象的なデジャブを刺激されるんですよね。なんと言っても「白けたフリ〜〜」の1フレーズで、全部それが固まるんですよ。ああ、そうだったよな、って。"抽象的なデジャブを一気に固めるフレーズ"、とんでもないよ。

■ってな風に思うんですけど、とは言えみんな一体、この曲をどう聴いてるんだ?? この歌で言う"進化"をした、この歌で言う"人間"が、この歌で言う"壊す"に至った原因と、気持ちを、そしてこれから移住する星とその未来を、どう聴いたんですか??
■ピノキオPの曲は、物語を語っているようで、あくまでそれを比喩として用いて、実際は身近な環境などをテーマにすることがよくある、と思っています。これをAパターンとします。それとは別に、あくまでやはり物語を伝えることがメインであり、それ以上の余計な意味の詮索は野暮に感じる曲も多いです。これをBパターン。このCDではゲームスペクター2が代表的。かえるたちのうたはAパターンでしょう。そして同じテーマとして見るなら、自然、遊星まっしらけもAパターンです。これが僕の考えの流れです。当然誰も同じように考える必要はないわけで、作詞者本人が違うといえば、違う文脈でできた作品なのでしょう。そのときはBパターンとして聴くべきなのかもしれません。AとかBとかやめろ、というのが本当は一番いいのかもしれない。そんなことはいいじゃないですか。僕のわかり方がたまたまこうだった。そういうことで勘弁願いますね。きっとこんなに言い訳しなくてもいいんだよ。



■同じテーマといえば、『ニナ』と『ひとりぼっちのユーエフオー』も、と、そこに『胸いっぱいをダメを』は"言及詰将棋"だという意見を絡めて書こうと思ったのですが、まだ少しまとまらない。あと何周かする必要があるのかもしれません。
■二つあるうちの要点の一つは、このCDの感想読みたい、語ってくれ、というか語りたくならないのか〜?!、ということで、もうひとつは、なんだったかな。風呂で考えてたときは二つあったんだけどな。










■ここまで下書きに書き溜めた、その一週間後の今日、追記。二つ目思い出した。「次は何をしよう」に刮目!というのが要点。

■「この作者の作品よかったから次も似たような作品を聴きたいな」ということは結構ありますが、「この作者は次も似たような作品以外出しようがないんじゃないか?」と感じることは珍しいです、ピノキオPのことです。
■だって、全部やっちゃっただろ、と思う。
■と言っても、そう思ったのは『ラブソングを殺さないで』なので、その後結局新しいのは続々出てきたんですけど。ラブ殺(ラブ殺て)でなぜ打ち止め感を感じたかというと、全力のケセラセラだったからです。良いことも悪いことも全部ある、あるがままだよ、それを愛そうよ、って言ってる。
■魚になったり鳥になったりするように、愛の歌を歌い皮肉な歌を歌い批判的な歌を歌い、90度ずつ態度を変えながら、その裏替えしの態度を歌い、結果的に行き着いた果てなんじゃないかと思うんです。それこそがあるがまま。結局ケセラセラ。全方向見終わっちゃって、もう上から見下ろしてあるがままを見届けるしかなくなった。そんなとこに行き着いたってのは、もう全部やっちゃった証じゃないですかね。というのが、行き止まり感の原因。
■僕の主観では、『はっぴーべりーはっぴー』あたりからもがき始めたケセラセラが、全力の諦めみたいな愛をもって結実したように見えました。だからここが、ケセラセラの旅の頂点だと思った。一般化の果て。あとは具体的に"テーマの種類"という名の枝を横に下に伸ばすだけだと。
■でもそうじゃなかった、というのが『ニナ』。ラブ殺(ラブ殺て)のケセラセラは、あくまで神の目線だった。神か悪魔かは置いといて、客観視してた。ニナは完全なる主観。この差はでかいっすよ、上から見下さず、輪の中を「何にもねー!」って叫びながら走りだす、という選択。楽しくなったらいいのにな、と諦めみたいなどうしようもないケセラセラを殺したがってる。同じケセラセラ(さっきからケセラセラ言い過ぎ)をテーマにしていても、こうも変わってくるのか、と驚きました。
■『胸いっぱいのダメを』も、あるがまま(←ケセラセラを言い換えた)という文脈に乗った歌だと思う。ただそれは「ダメ人間はダメ人間としてあるがままでいいよ、本当はダメだけど抱えながらいけよ」という肯定のためというより、"言及詰将棋"として聴くとハッとする。だから僕はそういう聴き方をしてしまう。言及詰将棋とは、つまり、「Aを言及したぞ」「Bも言及したぞ」「もう全部言及したぞ」「それについて判断することも言及したぞ」などと言って、新しい価値観を差し込めない"詰み"の状態を仕上げてしまった、ということ。実際「全て許すのもダメ」と言っている。ケセラセラもあっさり否定している。愛、憎しみ、皮肉、一周した愛、それらを包含し殺したケセラセラを、更に殺しにかかる言及詰将棋。しかも「ダメダメ言うのもダメ、というのもダメ」と、詰将棋はまだ続く。このせいで、せっかく幅が見えてきたケセラセラも、完全に詰んだ。
■そう考えると、ニナは驚くべきことに、メタだ。‥と思う。「新しいことに驚きたいな、宇宙の果ては期待できるのかな、新しいことを思いつきたいな」みたいなことを言ってるけど、この溢れる好奇心とそれに見合わぬ行き止まり感は、これは、曲順(2.胸いっぱいのダメを →3.ニナ)的に、直前で自らケセラセラを否定した"詰み"の状態を作ったせいじゃないかと思う。その状況、まさにニナの内容を、ニナ自身で歌っている。わかってるよ、考え過ぎだ。いいだろべつに。好きで書いてるんだよ。
■考え過ぎだとしても、でも、ニナは本当に、ただ明るい曲じゃないですよ。「ニナ好きだな〜」っつって終われるか? この曲みんな本当にどう聴いてるんだ? 教えてくださいよ。"好きなもの探しの果て"がテーマになっているとして考えて『ニナ』も『ひとりぼっちのユーエフオー』も同じテーマとして聴いてます(これも5,6周目にそうなった)。闇が気にならないですか。一方で「楽しくなったらいいのにな〜♪」つってるけど、一方では頭の病気だもんな。同じ想いを指して。


■とにかく、ニナで歌われる「次は何をしよう 何ができるかな」。僕はここにエッセンスが詰まってるように思います。「あるがままはあるがまま、良いも悪いもない」というケセラセラは既に歌ってしまった。そんなケセラセラもダメだと歌ってしまった。ちなみに既にそのダメだという判断もダメだと歌ってしまった。これってもう、詰んだでしょう。
■一体、次は何ができるんですかね。全然想像がつかない。




■そしてこれも確信してるんですけど、ぜったい詰みは覆る。ビックリするような、詰みからの一手を打ってくるんだ。
■どの方向からか。知らない次元から飛んでくるかもしれない。

■楽しみすぎる。







■よーし、僕もがんばろう。 

■おもしろい漫画、描くぞ〜!!!



 

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ふざけるなよ。
  • なっとくP
  • 2014/01/25 1:34 PM
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